古代は東山道の脇道、中世は国府のあった惣社(そうざ)付近から守護所のあった塩田平とを結ぶ軍用の鎌倉街道が通っていた。近世は江戸参勤の松本城主石川、小笠原、戸田、松平、堀田の諸氏が通行したが、水野氏から保福寺峠越しとなり脇道となる。奈川の牛方や一ノ瀬の牛方は白木の材を峠越で運んだ。道中には、牛の供養のため大日如来の石碑が多い。 「平成9年11月 本郷地区景観整備委員会」
2004年7月17日
「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図50000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。(承認番号 平15総使、第244号)」