青柳城跡 撮影日 2008年8月17日

唐松岳の帰りに寄り道をして青柳宿周辺を散策するが、敷地内を流れる水路は昔の面影を残し、とっても珍しかった。
 

青柳城跡及び館跡
清長寺の館跡・その下の寺小路の両側の侍屋敷・青柳城山の山城を合わせた中世の城跡である。始めは、坂北村全部と本城村の大部分を本領にしていた青柳氏の城であった。小笠原氏滅亡後、武田信玄は川中島への拠点として改修し天文22(1553)年にここに10日間泊まっている。
武田氏滅亡後は小笠原貞慶がまた川中島への拠点とした。天正11(1583)年4月から翌年までの1年間小笠原貞慶と上杉景勝との間で、ここと麻績城の取り合いが4回繰り返された。天正15年に青柳氏が滅亡して、小笠原氏の家臣の松林氏が在番している。実戦の行われた数少ない城のうちの一つである。山城には武田・小笠原の改修により、各時代の特色が残っている。

昭和49年3月22日 長野県史跡指定 筑北村

   
     
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